相場を始めたころ、
ぼくは未来を当てにいっていた。
フィボナッチの161.8。
N値の到達。
マルチフレームの整合。
一時間足が上を向き、
十五分足が押しを作り、
一分足で入る。
理屈はきれいだった。
条件が揃えば、伸びる気がする。
誰もが一度は通る道だと思う。
けれど、それはどこまでいっても「想定」だった。
161.8に届くかどうかは、まだ分からない。
N値を達成するかどうかも、分からない。
未来を前提にして、
現在を組み立てる。
外れたとき、人は理由を足す。
時間が足りなかった。
上位足の波が残っている。
もう一段伸びるはずだ、と。
未確定の未来を、
別の未確定で補強していく。
その構造に、少しずつ違和感が出てきた。
相場が動くのは、
目標値に届いたからではない。
更新で追随が入り、
否定で含み損が生まれ、
損切りが連鎖する。
価格は、思惑よりも清算で伸びる。
高値を更新したあとに滞留し、
否定で崩れ、
戻りで希望を残し、
もう一度否定される。
そこには、すでに確定している事実がある。
それに気づいてから、
未来を当てにいくことに重心を置かなくなった。
ポジションを持ったまま
「届くはずだ」と願うよりも、
否定のあとにどれだけ偏りが残っているかを見るほうが、
ずっと静かだった。
トレードが終われば、
相場もそこで終わる。
夜に子どもとゲームをしていても、
頭のどこかで値動きの続きを計算することがなくなった。
相場を閉じる時間が、
きちんと持てるようになった。
予想をやめたというより、
予想に頼らなくてもいい場所へ立ち位置を変えただけかもしれない。
相場は、まだ来ていない到達点ではなく、
確定した偏りの積み重ねで動いている。
いまは、その積み重ねを見ている。